The girl of my dreams
- ラボ オルカ
- 5月11日
- 読了時間: 2分
なぜ人は意識をすると”ソワソワ”してしまうのだろう? これは日常生活においても、芝居の練習をする時でも、仕事でのプレゼンをする時でも起こり得る事ですよね。
恋愛もそうじゃないかな?って僕は思う。
『あの子の事が気になって気になって仕方がない。』とか
かくいう僕にもそういった誰にも言えない秘めた“ナニ”かを持っている訳ですが。

こういった一つ一つの感情や心の動きというものは、人生において豊かにするものだと思っています。希望や不安、期待と恐れ、そして身体的な興奮が複雑に絡み合った感情というものは他の何事にも代えがたい特別な体験で、こういう感情というものは年を重ねても抱いていきたいものですね。
また、時にこういった感情は形にする事が出来るわけです。
詩や歌や演技、あと絵や様々な物に置き換える事が出来る。
感情というものは可能性を秘めていて、ちょっとした事がその人の魅力をさらに引き出してくれる。 きっと、感情が「人間らしさ」そのものだからじゃないかな?
喜びを分かち合い、悲しみに寄り添い、時には怒りさえも建設的な力に変えていく。 そうした感情の機微に触れるからこそ、私たちは他者と深く繋がり、互いの存在を強く意識することができる。
そして、この感情を形にする過程は、自分自身の内面と向き合う、かけがえのない時間。 ソワソワとした不確かな感情も、言葉に、音に、あるいは筆の運び一つに込めることで、新たな意味や美しさを帯びる。その表現が、また別の誰かの心に触れ、共鳴を生む。その連鎖こそが、人と人との繋がりを深め、私たち自身の成長を促してくれるのだと僕は考えています。
だからこそ、僕達は感情を恐れることなく、むしろ積極的に受け入れみたらどうだろう? 特に表現を生業とする者であれば、感情の幅を広げ、その繊細な揺らぎを敏感に感じ取る訓練は、何よりも重要な基礎となるはず。喜怒哀楽のグラデーションを深く知り、それを自身の身体や声、言葉を通してアウトプットする。そうすることで、私たちの表現はより豊かになり、観る人、聴く人の心に、より深く温かく響くことができると信じています。感情は、人生という舞台を彩る、最高の照明であり、最も雄弁なBGMなのかもしれません。 ここ数年で僕の中には無かった感情が明確なものになり、感じれるようになった。
言葉として、感情として理解出来なかった事に今、明かりが灯った。 人というものは根本的に変わる事はないけれど、それでも変わる面もあるんだね。
コメント